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平成10年から法話図書館で連載された長谷川正徳(はせがわ・しょうとく)先生のちょっといい話 ブログ版です。携帯電話からも見られます。
2012.02.17 Friday
第100話 人間の弱さ
「忘れた頃に事故は来る」と耳にしますが、ある会社の社長さんは「事故は忘れた頃に来るのではなく、起こした事故を忘れるから、事故を起こすのである」と戒めております。 何事もそうであるように、ものごとに慣れることは大切だが、慣れすぎると初心を忘れてしまうのでございます。 とくに技術の世界における慣れは注意が必要であると言われます。身近な例を挙げれば、自動車の習いたては十二分に注意を重ねて安全運転をしているが、いつしか慣れると安全運転の規制よりはみだし、事故安易な考え方、妥協から思わぬ事故を起こしております。 徳に現代人の生活機構は複雑微妙であるが故に、何かせわしなさを感じ落ち着いて物事を判断しかねることさえあります。その為か自己の生活態度、環境は勿論、体力、技術等を無視して冒険を試みる人も少なくありません。物事に対しての慣れすぎと不慣れの微妙な心理的交錯のもたらす一面かも知れません。 こんな時、お互いに要求されてくるのが自己反省と言われます、「失敗した」「悪かった」と反省できる人は信頼されます。慣れによる初心の忘却は自己過信、増上慢となって現れます。謙虚と素直さのある者は自己の行為に責任を持って物事を処理していきます。 慣れは人間の弱さの一面でもあり、これに溺れることのないよう戒めてまいりましょう。 2009.03.18 Wednesday
第99話 普通の人
山を登る時、あせってどんどん登る人がいます。初めのうちは、人よりも一歩も二歩も先に立ち、元気いっぱい得意げに登っていますが、やがて疲れが際立って、休む回数が多くなり、後から倦まずたゆまず登ってきた人が追い越して行ったりすることがあります。
山登りの達人というのは、肩の力を抜き登ろうとする気負いを捨てて、今、踏みしめて登る一歩を、ただただ無心に一歩一歩足を運んでいくのだそうです。それと同じように、人生もまた、特に信仰も目的だけを追いかけて、脇目もふらず、真剣、ガムシャラに突き進むことが必ずしも良いとはいえない場合があるようです。 もちろん、怠けたりいいかげんが良いというのではありません。しかし「がんばる」とか「マジメさ」とかいうのも度が過ぎると、そのために周りの景色やその他色々なものが目に入らなくなり、また、心に届かなくなるようです。視野の狭い、例えば馬車うまのようなマジメさ、それがひいては偏狭さとつながるとすれば、それはある意味で大変危険だとさえ言えるでしょう。 信仰する人というのは、逆に自分が人より勝れていたり、先んじたりする特別の人だという気負いを捨て、たとえどんなに能力があり、勝れている面があるとしても、まず何よりもごくフツウの人でなければならないのでしょうか。 当たり前に生まれてやがて死んでいく、そして、腹が空けば辛いし、寒いとか痛いとか逃れることのできない生身の生きものの一人であることを心底から自覚することから出発してほしいと思うのです。その上で、各々の分に応じてできるだけのことを一歩一歩着実に生きていきたいものです。 2009.03.11 Wednesday
第98話 彼岸に生きよう
生死を此岸となし、涅槃を彼岸となし、煩悩を中流となす。菩薩は無想の智慧をもって禅定の舟船に乗り、生死を此岸より涅槃の彼岸に到る」
9月、暑さ寒さも彼岸まで、春秋二季の彼岸会は共に季節の変わり目、殊に秋は厳しい暑さから解放されて爽涼の季節に、又、春は寒さから暖かさの楽しみに移ります。 この機会をとらえ、御先祖さまたちは祖先崇拝を通して、新しく伝来した仏教精神ととけ合い、生活のリズムを正す智慧袋を残してくれました。 現在の祝日法に春分は「自然をたたえ生物をいつくしむ」とあり、秋分を「祖先をうやまい、なくなった人をしのぶ」としています。 私達は稔の秋を迎えて大自然の恵みをたたえ、天地の恩に感謝し、先人の偉大な徳を偲んで報恩の誠を捧げなくてはなりません。 祖先を忘れ親を思わぬ者の生活は乱れます。日々これ此岸の中に浮き沈みするお互いが、与えられた夫々の場を通じて四恩報謝、現前直下の自己をいかに充実していくかを、自ら叱り、自らをみつめ、真実の智慧をともして精進する時、此岸の世界を彼岸に変えていきます。 生死の苦海を渡す智慧のひをともして、彼岸に生きる生活に精進してまいりましょう。 2009.03.04 Wednesday
第97話 彼岸へのみち
「生死を此岸とし 涅槃を彼岸とし 煩悩を中流となす 菩薩は無想の智慧をもって禅定の舟船に乗り 生死を此岸より涅槃の彼岸に到る 禅定の舟船とは 布施・規律・忍耐・精進・禅定・智慧を指す」
焼けつくような炎暑も去り、残暑の照りつけもすんで、涼しい風が走り抜けます。 9月、お彼岸の月です。春秋二回、春分の日・秋分の日を中心に前後の三日間、短い一週間ではありますが、花が咲き実を結ぶ時期でもあります。 彼岸のお中日が、国民祝祭日の法律の中で「祖先をうやまい、亡き人を偲ぶ」という趣旨でつづられています。彼岸会の行事は日本の気候風土が生んだ美しい宗教行事であり、祖先崇拝の尊い姿でもあります。 恒に彼岸を求めながら此岸の中に浮沈する人間、彼岸の里は遠くに在るのではなく、お互いの五尺からだの胸の中、心中です。 私達は禅定の舟船を日々普段の生活の中に守り実践しなくてはなりません。彼岸も此岸も今日の世界です。 これからは静かな夜が長くなり、月の光も一段と増し、虫の音も澄んでまいります。 稔の秋を迎えて祖先の力を感じながら、同胞相愛の仏作仏行を営んでいるかを反省しつつ、与えられた生命を精一杯に尽くして、日々これ彼岸の道を歩んでまいりましょう。 2009.02.25 Wednesday
第96話 老年期は人間形成が頂点である
敬老の日を前に、9月12日厚生省は平成元年の全国高齢者名簿(長寿者番付)を発表した。それによると9月30日までに百歳以上になる長寿者は、
前年名簿より400人増えて、3078人(海外在留邦人を除く)となり、初めて3000人を突破した。
男女別で見ると、男・630人、女・2448人で女性が約80%を占めている。この長寿者名簿が発表されるようになって昭和38年の男女合わせて153人あったのと比べ、 約20倍もの伸びであり、最近の三年間は、毎年400人前後の大幅な増え方で、わが国の長寿社会が大変な勢いで進んでいることを示している。 この高齢社会を迎えて、いよいよ私どもは、老人の生き甲斐とか、いのちと幸福といったことがらについて真剣に考えるものとならねばならない。 ところが、この頃発表されたある、年齢と幸福感に関するアンケートを見るとちょっと淋しい気がする。二十代では「カッコいい」ことが何より大切、 四十代ではマイホームや仕事に重点が移り、五十を過ぎ、定年退職になると、もはや「生の欲望」のうすれからきた諦めに支配されているようである。 この調査でわかることは、人生50年が人生80年に伸びても、日本人の生きる姿勢は昔とあまり変わりばえがしていないということである。 老年期を人生の黄昏、余りものとしてではなく、むしろ人間形成の頂点、人生価値の極地に達するための第二の人生として、生かしきるための、 個人的、社会的な心の用意がまだまだなおざりにされていると言わねばならない。若いときから宗教心はしっかり養っておかねばならぬ。
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